いじめ・鬱・病気を超えた私が水商売をする(前編)

こんにちは、22歳の経営者natsumi(@7230n95)です。

今に至るまで「どういった人生を生きてきたのか」について語っていこうかと思います。正直、そんなに語れるほど生きてもないので、いつも聞かれると何を答えようか迷います。後付けになる気もしますが読んでいただけると光栄です。

目次

いじめ・鬱・病気を超えた私が水商売をする (前編)
1、いじめと鬱の日々
2、不安からの脱出
3、全てを失い迷った日々
4、キャバクラ、ラウンジ、クラブで働く
5、ニート、金なし、クズ生活が始まる

ホームレス・別れを超えた私が自営業をする(後編)
6、人生のやり直しが始まる
7、自立と別れ
8、大切な人より、変わることを選んだ人生
9、人生はやり直せる・人生は変えられる

 

いじめと鬱の日々

natsumiは和歌山出身、大阪在中のジャグア・ヘナアーティストです。東京・名古屋・福岡・沖縄などによく出張しています。小学生の頃は、隣に住むいとことばかり遊んでいたせいか、友達は多い方ではなかったです。今思うと、遊び方が人と違っていたのかもしれない。

ままごとではなく、自分たちで紙を切ったり折ったりしてお金や商品を制作し、売買する、お商売ごっこ。その辺に生えている草やタンポポ、つくしをちぎって紙に貼り付け、「春が来た」などと意味不明なメッセージを添え、近所のポストに入れまくる謎の遊びをしていました。ちょっと変わっていたのもあって、いじめもありました。当時は、それなりに悩んでいた記憶があります。

いじめは中学の2年間続きました。
非通知が鳴り止まないとか、お金を盗られるなど。孤独を味わって本当に死にたいと思ったのは中学時代が一番多かったです。
もうほぼほぼ覚えていないけど、よく学校で過呼吸になって運ばれたり、リストカットもしていたかな。「病む」ことを覚えて鬱状態は長かったです。ストレスで耳が聞こえにくくなり、立てなくなった時もあったけど3年目だけは友達に恵まれました。

高校に入り、高校デビューに憧れ、髪を伸ばしピアスを開け、バイトをしたり、彼氏ができたりと結構楽しんでいました。でもやっぱり、人間関係は難しかったです気にしいが治らなかったり、とにかく病むことが多かったです特にすぐに悩む性格は簡単には直すことはできませんでしたそして友達はいるのに常に孤独を感じていました今では、心が許せる友達が数人いて、ものすごく大切に感じます。

 

不安からの脱出

大学に入ってからすぐ、今度は大学デビューを試みました。一人暮らしを始めたり、オールしたり、お泊まりしたり、自由を堪能しました。
しかし、初めてのことが多かった為ストレスを感じやすく、月に1度、病気になり病院三昧でした。毎週点滴に通い、感染病(ノロやインフル)にかかることも多く、体がかなり弱かったです。
大学で、みんなでワイワイしているのが好きでしたが、未来がものすごく不安でした。外国語の大学に通っていましたが、全くできない、レベルの低いクラスにずっといました。周りが上達していくのに、自分は置いてけぼりになっているのが怖く、何かに追われているような気がしてならなかったです。そこで私は他に何かしたいことを探そうと思いました。そのために多くのことに挑戦することを決め、セミナーを受けたり、色んなバイトをしてみたり、本を読みあさったりしました。

 

全てを失い迷った日々

そんな生活を続けていた19歳の2月頃、お金を使い切ってしまい、家賃を滞納し、家を出ることになりました。私はその時住んでいたマンションを解約し、スーツケース1つになりました。唯一あったのは、彼氏の存在だけ。アホすぎて、今置かれている状況すら把握できていなかったのだと思います。
そして、大学も辞めると決意。母親に伝えると、すこぶる怒られました。でも私は、とんでもなく頑固で、「私の人生を生きる」と意気込んでいました。今思えば、なぜそう思ったのか・・・結局休学にしなさいと言われ渋々受け入れました。そして、この休学が人生を変えるきっかけになりました。

 

キャバクラ、ラウンジ、クラブで働く

19歳の4月から家なし金なしのホームレス状態が始まりました。そして実は3月くらいから水商売を始めていました。場所は京都の祇園です。お金がなかったので興味本位で面接に行き、その日から働くことになりました。

初めてのキャバ嬢….。

そこには別人になった自分がいました。色んなお店を知りたくて、色んなところで働きました。私はあるお店に気に入られ、専属で働くことになりました。しかし、そこはクラブだったのでかなり厳しく、言動について毎日怒られ、飲めないお酒もたくさん飲まされました。私は必死にこらえていましたが周りの女の子は、毎日泣いていました。そしてまたもやになりました。(お酒飲めないから全然使えなかった)夜の仕事がこんなにもしんどいものなのか、と痛感しました。

そして、ついに体を壊して働けなくなった。
お酒の消化不良で胆嚢炎になり、病院通いでもう夜の仕事さえできなくなり、お金を稼ぐ手段が消えました。人生終わったと思いました。

 

ニート、金なし、クズ生活が始まる

家族に合わす顔がない。大学もやめる気だったし、仕事も辞め、お金もない。結果、プー太郎になって、実家の和歌山に帰ることになりました。すごく悔しかった。

何もできない、何もない自分に。

周りから、「落ちた、終わった」と言われ、人と会うことさえ怖くなりました。惨めで、辛くて、恥ずかしくて、毎日泣いきました。
大学は指定校推薦で行ったため、高校からも連絡があり、
「辞めると次の生徒がお前の通う大学に行けなくなるからやめてくれ」と言われ全てを投げ出したくなりました。そんなの知らねーよって言いたかった。なんて無責任だろう、私。やってみようと思った事さえ、中途半端でした。

私は何の特技もない、薄っぺらい人間で、誰からも必要とされていない。何なら人に迷惑をかけまくる、超めんどくさい人間だ。自信満々のくせに何もない。自分が自分の期待に応えられないと、こうも落ちていくんだな。と思いました。

4月に入り、分割で支払う予定になっていた15万円のセミナーの料金の請求がきた。もう、お金はなく、逃げるしかないと思いました。全てを放り投げて、福岡に行くことにした。知り合いのつてで、不動産や司法書士の元で「仕事」というものを学ばせてもらった。

私はその頃、人としては最悪だったけれどだけは一応持っていました。こんなことしてみたい、あれになってみたいとか希望だけは捨てずにいました。しかし、仕事を学ぶ上で色々知りすぎました。そして、希望さえ持てなくなったのです。自分の存在意義がわからなくなり、消えてしまいたいと思いました。どうせ、消えても誰も悲しまない。時間が経てば、あ〜そういやあんな子いたよね。くらいの存在だと思ってました。

その頃の唯一の救いはやはり彼氏でした。私のクソ野郎な考え方も、行動も全て受け入れてくれて、好きなことを好きなだけさせてくれた。今でも、感謝しきれないです。

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